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理由ある反抗
〜「プレステージ・インドネシア」2007年1月号からの抜粋
 
2007年2月27日
 

数々の賞を受賞している建築家兼インテリア・デザイナー、サルジョノ・サニ氏は自らを「ホテル・ジャンキー」と呼ぶ。彼は、この数年間で世界的ベストなホテルを作り出そうとしてきた。彼はこれまでの作品を誇りに思う一方、決してまだ完璧なものを作ったとは思っていない。彼の目標は、この世に100%完璧なホテルを造り、そのオーナーになること。それが自分の目標だと確信しているのだ。

その結果生まれたのがクマン・アイコンである。呼吸ができる場所。ゲストを惹きつける場所。街の喧噪から逃れられる静かな隠れ家。全室オール・スイートのこのブティック・ホテルは、都市型ライフ・スタイルをほとよくブレンドしたホテルになっている。

正確には、クマン・アイコン・バイ・アリラは、おしゃれなブティック・ホテルに分類されるが、夜ゆっくりと休むという基本的な機能がしっかりと守られており、それでいて静かな落ち着いたシックなスペースを演出したホテルであるのだ。高級ブティック、屋上プール&カフェ「エッジ」、タイ・マッサージ、バリ・マッサージを受けられるスパ、ジム、ヨガや太極拳レッスンのあるヨガ・ルーム、ライブラリー、会議室など、ホテル内には最高の施設&サービスがある。

クマン・アイコンのデザインは、建物表面が3階まで伸びるブルー・ガラスで際だった外観がその特徴である。開放的で、かつ透明なおしゃれな空間でありながら、中はきちんとプライバシーが守られている。

サルジョノ・サニ氏の言葉によると、最も重要なことは、これら施設でなくクマン・アイコンのゲスト一人一人に対する手厚いサービスとホスピタリティである、とのこと。リクエストするとゲストの持つiPod Nanoに好きな曲をダウンロードできる、部屋にゲストの好きな香りのルーム・スプレイをおいてくれたり、好みのドリンクやスナックをミニバーに用意してくれる。

ゲストは、ダイエット食をオーダーすることもできる。好みを伝えれば、毎回、ゲスト各人にあった味と、体調に合わせた食事を調理してくれる。自分で気軽に調理したければ、オンライン食品リストで注文すると、生鮮食品と地元の食材を部屋まで届けてくれる。

サルジョノ・サニ氏の言葉:「事前に2週間あれば、お客さまのお好きな色に部屋の模様替えをすることもできます。また、希望であれば2日ごとに部屋をチェンジすることも可能です」

クマン・アイコンのアイディは、6年前にさかのぼる。彼の妻、同じくホテル・ジャンキーであるラサ・S・ハンドジョが、彼を助け、インテリア・デザインを手伝った。

当初、専門家達は、クマン・アイコンのデザインは、あまりに過激で、市場にマッチしない、と言っていた。しかし、サルジョノ・サニ氏は、信念に基づき、また夢を達成するために、これに理由を持って反抗することにした。

「私は商業と芸術と未来感を融合させたかった。一部の人にはあまりに過激にうつるかもしれない。一部の人は、これで私は失敗する、とも言った。しかし私は耳を貸さなかった。ブティック・ホテルに私が求めるもの。それは、ありきたりのものではないからだ」

クマン・アイコン・バイ・アリラの各スイートは、部屋番号でなくそれぞれに名前がつけられている。そして、その名前は、Illusion、Ionic・・・など頭文字がアイ「I」から始まっている。また水をテーマにした部屋もある。伝統的な東屋で寝るような田舎をテーマにしたデザインの部屋もある。クマン・アイコン・バイ・アリラはサルジョノ・サニ氏のイリュージョンであるといえよう。

2006年1月にオープンして以来、クマン・アイコン・バイ・アリラは商業的に成功をおさめている。「なぜなら、私達はゲストのことをよく理解しているからです。そしてアリラによる完璧なマネジメントがなされているからです」。サルジョノ・サニ氏は、言う。「アリラは、マネジメントにおいて革新的で現代的なビジョンを持っていて、私との関係も良好です。また次回アリラとコラボレーションできることを確信しています。インドネシアではないかもしれませんが」

「私は建築家という仕事を愛している。しかし、60歳になったら引退して芸術活動をしたい。建築家として、人と共同作業をしながらプロジェクトを成し遂げることはやらなくてはならない。芸術家であることは私の一部なのです。限界を作るのは自分自身なのです」